柳沢 敦選手
サッカー選手(京都サンガF.C.所属)
柳沢 敦選手
サッカー選手(京都サンガF.C.所属)PROFILE
1977年5月27日生まれ。富山県出身。小学校の頃よりサッカーを始め、中学時代はFCひがしジュニアユースに所属し、U-15日本代表に選出される。富山第一高校時代は国体および高校総体へ連続出場を果たす。1996年、高校卒業後に鹿島アントラーズに入団。初年はリーグ戦で5得点、2年目は18点をマークして新人王に輝く。2002年には日韓ワールドカップに日本代表として出場。その活躍が評価され2003~2004シーズンはイタリアセリエAのサンプドリアに移籍する。2004~2006シーズンも引き続きセリエAのメッシーナに移籍。帰国後は再び鹿島に所属し、2006年のドイツワールドカップに出場。2008年に京都サンガF.C.に移籍、2010年より新主将に就任した。柳沢 敦選手の学生時代は・・・
将来はサッカーで食べていきたい!

中学に入ってからはFCひがしジュニアユースという新しいクラブチームに所属していました。その頃は漠然と将来はサッカーで食べていきたいな、くらいにしか思っていませんでした。まだこの頃はJリーグができていなかったので、サッカーで食べていくということは海外のチームでプレイするしかないと思っていました。高校に進学してからも、とにかくサッカーをやれること・上手くなることしか頭になかったので、大学進学ということはあまり考えていませんでした。
ところが僕が高校1年の時に、いきなりJリーグが発足したんですよ。するとサッカーがいきなり盛り上がってきて、サッカーをやっていた高校生にとっては大きなチャンスだと思いました。そして高校3年になるといくつかのJリーグのチームから誘っていただき、初めてプロの世界を身近に意識することができたんです。
Jリーグに入団、そして世界のピッチへ・・・
Jリーグ、セリエA、ワールドカップ全てが刺激的だった

2003年から約3年間、イタリアのセリエAでプレーしましたが、まず感じたことはサッカーの歴史の違いでした。チームが町に根付いていてファンとチームとの強い絆のようなものがあるんです。それは長い時間をかけてつくられてきたものだから、みんながサッカーに対して熱いんです。だから選手もチームのため、サポーターのために頑張れるんですよ。セリエAのレベルの高さは、こうした土壌の中でつくられてきたんだと感じました。
また、日本代表として2度のワールドカップに出場できたことも大きな経験でした。世界最高のピッチに立てた感動と「やってやるぞ!」というモチベーションも最高に上がります。サッカーをする姿勢はチームにいるときと変わりませんが、日本代表としての責任の重さは違いました。結果によって与える影響も大きいですし。サッカー選手として最高の経験ができ、また現在に至るまで、サッカーによって自分自身の人格がつくられてきたことを実感しています。
柳沢 敦選手からのワンポイントアドバイス
高校時代は、体づくりに一番有意義な時期

(1)走ること・・・全ての基本練習であり、体作りにも欠かせないと思います。走ることによって心肺機能や筋力を付ける意味もありますし、特に高校時代は一番伸びる時期だと思います。
(2)フィジカル(肉体的)の強さを鍛えること・・・走る速さやヘディング、ドリブルなど全てのプレーに必要とされる「力」を付けることが大事です。そのためには筋肉のトレーニングも有効だと思います。僕は学生時代、背筋と腹筋は毎日欠かさずやっていました。ただ、筋肉トレーニングには正しい指導の元でやることが必要です。
(3)サッカーをよく知ること・・・試合のあらゆる状況の中でどういったプレーが必要なのかを判断することが大事です。そのためにはチームプレーの練習は欠かせませんし、人のプレーを見ることも大事だと思います。ポジションに関係なく、あらゆるプレーができる応用力も身につけてください。
それと最後に精神面ですが、全ての練習に「自分が強くなりたい!」という思いを持ってのぞむことができればきっと伸びるはずです。
※プロフィール等は2010年6月時点のものです。
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